- 生きててもしょーがないって思っている人
- 死にたいと思っている人
- もうこの先、良いことがないと思っている人
生きててもしょーがない。死にたい。
もうこの先、良いことなんてない。
長い人生の中で、いじめ、誹謗中傷、失恋、大切な人の死、過ち、介護、病気などにより、自殺を考え、その時、僕たちは死ぬことを選択の中に入れてしまう。
自分が楽になりたいからではなく、他人を楽にしたいから、自殺を選択する人もいる。
僕たちは、普段、敢えて自殺については考えないようにしている。
なんとなく、自殺については、触れないほうがいいと思ってる。
だって、自殺について原因を追究すると、その人のセンシティブな情報に触れることになって、そんな失礼なことはしちゃだめだと思うから。
誰かのせいで、自殺したなら、その人達に対して、どうすればいいかわからないから。
僕も自殺の原因について、あーだこーだ言うのは嫌だから、ここでは、自殺する前に考えてほしいと思っていることを書きます。
この記事はショーペンハウアーの「自殺について」と、イェール大学教授のシェリー・ケーガン教授の「死とは何か」を参考してます。
でも、この記事自体は、ものすごく短く書いています。だって、本を読んでいる余裕なんてないかもしれないから。
自殺する前に考えてほしいことは3つあります。
- 本当に死ぬほうが楽になれるのか
- 今、自分が冷静に考えられているか
- 周りの大切な人のことを思う
本当に死ぬほうが楽になれるのか
今、死ぬほうが楽になれる。そう思ってる。
きっと何度考えても、そういう結論になったんだと思う。
でも、もう一度考えてみるのもいいと思う。
今が苦しくても、自殺しなくて寿命がくるまで生きたほうが、幸せになれることもあると思う。
そのことを真剣に考えてみよう。
僕たちは誰でも幸せになれる。
今、自分が冷静に考えられているか
死にたいと思ってると、もう他の事は考えられなくなる。
死ぬことが最も重要なことになる。
できる限り楽になりたい。そう思う。
そう思ってたら、冷静に考えられていないかもしれない。
落ち着くまでじっとするか。
誰かに相談してみるのもいいと思う。
こころの健康相談統一ダイヤルhttps://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/kokoro_dial.html
絶望に対する対応を考えてみました▼生きるヒントがあればと思います。
この記事を読んでもらいたい人 絶望していて、何も手につかない人 周りに絶望している人がいて、それを救いたい人 突然の絶望に対応できるようにしておきたい人 人生では否応なしに絶望に出会い[…]
周りの大切な人のことを思う
もう全てを放棄したくなる。
そんな風に思ってるかもしれない。
周りのことまで、背負いきれないと思っているかもしれない。
でも、大切な人と一度、話してみるのもいいと思う。
きっと相手もあなたのことを大切に思っているから。
最後に
僕は自殺してもいいとか、しないほうがいいとか、そういうことは言えませんが、人生をきちんと生きるって難しいことだなって思いました。
下に参考にした本の中でも特に気になったところを抜粋しているので、良かったら見てみてください。
また、僕自身が人生について考えて作ったポエムを紹介します。きっとなにか思うところがあるはずです。
ペンギンのポエムです。なにか思ってもらえたら嬉しいです。 人生で大切なポエム いまからにげる 今から逃げて未来を願う。 今から逃げて過去を恨む。 今はぼくに手を差し伸べている。 まず、その手に触れて、 今と触れ[…]
この本は、自殺を「合理性」と「道徳性」から考えてる本です。理論で自殺を考えることで、死の正体がわかり、対処ができるからすごくいいと思います。
【参考にした箇所】死がたいていの人にとって、悪いものになるのは、その時に死にさえしなければ、享受できるだろう人生における良いことを、死が奪うからということだった。
この本は哲学者のショーペンハウアーが書いた本です。この人は60歳までみんなに認められない中で、頑張って生きた人です。
【参考にした箇所】
自殺は、苦患(苦しみ)に満ちたこの世界を、真に解脱することではなく、或る単に外観的な、形の上からだけの解脱で紛らわすことであるか、それでは、自殺は、最高の道徳的な目標に到達することを逃避することになる。
生きているのが恐ろしくなり、その気持が、かねがね死を恐れていた気持を打ち負かすようになった瞬間に、人はたちまちにしてその生命を断つ
死の恐怖の持つ抵抗力は明らかに強大であり、死の恐怖は、いわば、生よりの出口の前に頑張って立ちふさがる門番のようなものである。
自殺に結びついている肉体的な苦痛は、それ以上に大きい精神的な苦悩によって責めさいなまれている人の眼から見ると、そのあらゆる重要性を失い、なんでもないことになってしまっているのだから。特に、このことは、純粋に病的な・深い憂鬱に囚われて・自殺へと促がされている人において、とくに著しい。このような人は、自殺を遂げるのに、まったく何らの克己心もいらないし、また、自殺を決行させる何らかのきっかけをも全く必要とせずに、彼らの付添っていた看病人が、ものの二分間も側を離れるやいなや、手早く、みずからの生命に終焉を与えてしまうのである。
【そのほか、参考にした哲学者のことば】
自殺は、たとえ、その人自身の身柄にとっては、不正ではないとしても、国家に対するひとつの不正である。 アリストテレス
ここでは国家と書いているけど、僕は家族や周りの人をイメージしたよ。